筋肉のぴくつき

二の腕やふともも、ふくらはぎの筋肉がぴくぴく動く。

 

この症状はとても気持ち悪く同時に手足の脱力感もあった為、最悪な事態へと向かう妄想にとりつかれていた。

 

ぴくぴくする部分が急につったり激しく痛んだりと今まで経験したことのない症状に翻弄される日々 …

 

手足だけではなく瞼や目の下、口元にまでぴくつきは広がっていった。

 

歩けなくなる恐怖、寝たきりになる恐怖 …

 

この時期は精神的な離脱症状も回復しておらず正に生き地獄の状態、いつ抜け出せるかわからない拷問のような日々だった。

 

この苦しみの中、断薬成功者の方からの助言を頂き、私は奇跡的にベンゾショックから抜け出し水溶液で減薬を始め半年を過ぎた頃からこの症状は段々と収束していった。

 

筋肉のぴくつきが治まると共に気が付くと身体の脱力感も消失していったように記憶している。

 

この症状も又多くのベンゾ薬害被害者が経験している。

 

私の場合は、目の周りのぴくつきが減薬を始めて1年半近くまで残ったが頻度は確実に減り2年を過ぎた今はすべて消失した。

 

ピーク時はふとももやふくらはぎ、目の周りの筋肉がぴくぴくと動く様子がはっきりと目視出来るほど大きく動いていた。

 

薬剤性の筋肉のぴくつきは脳のダメージが原因、改めてベンゾジアゼピンの恐ろしさを実感している。

 

化学物質過敏

私の化学物質過敏の症状は、かかりつけの内科から処方されたベンゾジアゼピン系抗不安薬バランスの医師による一気断薬によるものだった。

 

最初の発作は除菌スプレーを使った時に爆発的に現れた。

 

唇がみるみる腫れあがり舌が物凄い勢いで痺れ呼吸がおかしくなり冷や汗が噴き出した。

 

この出来事を境に私の生活は一変し化学物質に一切近づくことが出来なくなってしまった。

 

一切と言っても街中、家の中も化学物質は溢れている。

 

洗剤は全て自然素材のものに買い替え、家中の芳香剤や除菌スプレーをゴミ箱に捨てた。

 

インクで発作が起きるのでコピー機にも近寄れず、ボールペンを持つと皮膚がチリチリと痛み、舌は叫びだしたくなるくらいに痛み唇は腫れあがった。

 

もう生きられないと思った

拷問、そして生地獄だった

 

病院を渡り歩いても治せる医師は1人もいなかった。

 

この地獄の日々から2年が過ぎた頃からやっとこの化学物質過敏という恐ろしい症状は収束していき、完全断薬した今はカビ取り剤を使えるまでに回復した。

 

ベンゾジアゼピンの正体を知り微量減薬を続けたこと、そして時間薬だけがこの恐ろしい症状を克服できた道のりだった。

 

化学物質過敏症と医師に誤診され、更なる抗不安薬や抗うつ剤を医師に盛られ、どんどん症状が悪化し都会に住めなくなる人もいると聞く。

 

化学物質を一切排除した山の中でのひとり暮らしを私も想像していた時期があった。

 

医師に言わせると化学物質過敏症は発症したら治らない難病だと言われている。

 

でもそれは全ての人には当て嵌まらないと私は断言出来る。

 

薬剤性の化学物質過敏症があることはあまり知られていない。

 

ベンゾジアゼピン系薬物が原因の化学物質過敏症の存在は曖昧にされ、その可能性を口にする医師を私は知らない。

 

精神薬由来の化学物質過敏の可能性を疑ってほしい。

 

もし当て嵌まったなら、化学物質過敏は治る可能性がある。

 

肺の痛み

化学物質過敏の症状が酷くでていた時期、肺が痛いと感じることが多くなった。

 

私がベンゾの薬害に遭ったのはちょうどコロナウィルスにより世の中が騒然としていた時期だった。

 

除菌スプレーが街中に溢れかえり、人々が取りつかれた様に手や身体に振りまいていた時期と不運にも重なってしまった。

 

化学物質過敏の症状は内臓にまで及ぶのか?

 

その影響の大きさに恐怖し絶望した。

 

肺が傷つき息が出来なくなり死んでしまうかも知れない、本気でそう思っていた。

 

ベンゾジアゼピンによる脳のダメージは、身体だけではなく精神をも破壊する。

 

当時の私は意味不明の恐怖や、酷い焦燥感、フラッシュバック、悪夢にも取りつかれ疲弊していた。

 

精神薬をすべて断薬しベンゾジアゼピンによる数々の離脱症状が消失した今、あの時感じた肺の痛みは何だったのだろう?

 

医師の言うところの「気のせい?」だったのかもしれない。

 

奇妙な幻のような感覚は、今もっても謎としか表現出来ない。