錯乱~生き地獄

錯乱という言葉を知っていても実際に経験した人は少ないだろう。

 

例えばベンゾジアゼピン系てんかん薬であるリボトリールの詳細をネットで検索すると副作用の欄に錯乱という症状も書いてある。

 

副作用は離脱症状と紙一重、その見極めは非常に難しい。

 

錯乱を的確に表現出来る経験者などいないだろう!

 

自分は生きているのか?

死んでしまったのか?

自分は誰なのか?

何処にいるのか?

何をしているのか?

眠っているのか?

起きているのか?

 

錯乱状態は人の限界を超える苦しみとしか言いようがない。

 

経験者にしか語れない生き地獄であり、軽々しく未経験者が語るべき精神状態ではない。

 

逃れられない拷問、生き地獄は経験している本人にさえ理解不能 …

 

まして他人に説明出来るような生易しい症状ではないのだ!

 

精神薬が元凶の錯乱状態を患者の元々の症状と決めつける医師 …

 

何の説明もなく精神薬をばら撒いている精神科医 …

 

ネットでは精神薬の有害性を軽く捉えている医師が錯乱の解説を平然と発信している。

 

まるで他人事のように!

真実など知らない言葉で!

 

少なくとも私に現れた錯乱状態は確実にベンゾジアゼピン系薬剤の服用によってもたらされた症状であり薬害だと断言出来る。

 

ベンゾジアゼピンのリスクの説明をしない医師が今日も必要のない毒をばら撒き罪のない多くの人達を錯乱状態という生き地獄へと導いている。

 

感情の鈍化~過鎮静

ベンゾジアゼピンは抑制系の薬物である。

 

ベンゾを服用し始めの頃の私は、脳神経の働きが抑制され不安や痛みを感じなくなり眠れることで生きやすくなったと錯覚してしまった。

 

私の場合は、抗不安薬であるバランスを服用して以降徐々に感情が鈍化していき、ピーク時は認知症に似た状態になってしまった。

 

そしてバランスを一気断薬したあともその症状は残り続けリボトリールの服用で更に悪化してしまった。

 

その後ベンゾジアゼピン系抗不安薬と、痛み止めとして処方されたてんかん薬を2年半かけて微量で減らし続け、断薬した今は以前のように笑ったり泣いたり怒ったりと以前の感情に戻ることが出来た。

 

しかしこの感情の鈍化は、ベンゾショックの地獄の真っ只中では、ある意味自我を保つ為には必要な鈍化だったのかも知れないと思うこともある。

 

あの時、心と身体は確実に精神薬に蝕まれていたが、感情が鈍化していたことによって耐えられたのかも知れない …

 

感情の鈍化、過鎮静、思考の停止 …

 

そんな狂気の時間を延々と過ごした記憶はあるが、ベンゾを完全断薬した今当時を振り返るとその記憶は曖昧で詳細に思い出せない部分も多い。

 

私が飲んでいたリボトリールを含むベンゾジアゼピン系の薬は一旦飲み始めると常に過鎮静と感情の鈍化というリスクが付きまとう。

 

飲み続けると認知症のリスクが跳ね上がるとも言われている。

 

ベンゾジアゼピン系薬物は、様々な検査の前に不安を取り除いたり緊張を和らげる目的でも使用されている。

 

単発の使用ならとても有効であり怪我などの緊急時には欠かせない薬物であることは理解出来る。

 

しかし現実はどうだろう …

 

飲む必要のない精神薬をいつの間にか説明なく処方され、過鎮静の状態で正常な判断が出来ないまま精神病院に繋がれている人達が大勢いる。

 

これは実際に起きていることであり誰にでも起こり得る可能性があると言っていいだろう!

 

涙が出ない~無表情、無感情

どんなに辛くても泣けない、涙が一滴も出ない …

 

意味不明な恐怖や焦燥感に支配される中その苦しみを泣くことで発散することさえ叶わなかった。

 

私の目の前で私のことを心配し涙を流してくれる家族を目の当たりにしても無表情な状態は異常でしかなかった。

 

不思議な体験だった

私はもう人ではないと思った

 

私は本来泣き虫でありニュースやドラマでも大泣きするような人間だった。

 

ベンゾジアゼピンという恐ろしい薬剤は、私から泣くという人間として当たり前である筈の感情さえ奪ってしまっていた。

 

何故泣けないのだろう?

何故涙が出ないのだろう?

 

当時理由は全く解らなかったが今ならハッキリと理解できる。

 

ベンゾジアゼピンによる過鎮静が原因だった。

 

死を意識するほど辛くても涙さえも流せない!

 

涙は感情を浄化させストレスを解消させる作用があると言われている。

 

その涙さえ奪う恐ろしい毒薬がいつの間にかお薬という名前に置き換えられ合法の処方薬として今日もばら撒かれ続けている。