アカシジア(静座不能症状)
アカシジア(静座不能)は、ソワソワして落ち着かずじっとしていられない、座っていられないなどが特徴だが、言葉では説明不可能なほどその症状は過酷で残酷である。
身体的な症状に精神的な症状が複雑に絡み合い「人が耐えられる限界を越えてくる」と表現する人もいる。
このアカシジアの症状を難しい言葉を並べ、説明しているサイトはインターネットの中に数多く存在する。
しかしアカシジアを経験したことのない人が書いた文章、特に医師や薬剤師などの情報は、何の意味も持たないと私は思っている。
アカシジアは過酷で残酷、自死を選んでしまう人がいるほど恐ろしい薬剤性の症状であり、本人にしかその苦しみは解らないからだ。
アカシジア発症の原因となる薬物は主に抗精神病薬(メジャートランキライザー)が知られている。
例えば、抗精神病薬のエビリファイの添付文書の副作用には、アカシジアとはっきり記載されている。
しかしアカシジアに苦しむ人の中には、抗精神病薬を飲んだことのない人を多く見かける。
私の場合は、リボトリールの急減薬によりアカシジアの症状が現れ、ピークの時は、一日中歩き続けなければ気が狂ってしまうような過酷な状態となってしまった。
身体が痺れても、焼けるように痛くても、眩暈でまっすぐ歩けなくても、止まることが許されない拷問の中、部屋の中や近所を只々歩き続けた。
そして遂に歩きすぎにより疲弊し全身症状が急激に悪化、救急搬送を経て減薬を一旦断念した経緯がある。
私は、ネットの中の先人さんの情報を調べることに没頭し、自らの意思でリボトリールの増薬を決断した。
リボトリールによって現れた離脱症状が自分が耐えられる限界を越えてしまったからだ!
しかしその後、今度はリボトリールの急増薬により、生きられないと思うほどの副作用に苦しむことになってしまった。
先人さんの言葉通り、精神薬を動かすことは命がけ、正に人体実験そのものだった。
その後、失敗と前進を繰り返しながら安定を待ち、リボトリール微量減薬でアカシジアは少しづつ収束に向かい、現在は以前の生活に戻ることが出来ている。
私は、アカシジアの原因をネットに公開している医師は、アカシジアの本当の苦しみ、生き地獄を理解していないと思っている。
知っていれば向精神薬など患者に処方できる筈がないからだ!
なんと標準治療ではアカシジアに有効な薬剤は、ランドセンやリボトリールとなっているようだ!
向精神薬の本当の恐ろしさを理解していない医師、アカシジアを重く受け止めていない医師が短絡的な処方で患者を苦しめている。
TVが見れない、音楽が聞けない
ベンゾショックがピークの頃、落ち着いてテレビをみる事が全く出来なくなってしまった。
情報の多さに思考が追いつかず全く理解出来ない。
眼も画像に追いつかずパニック発作を起こしそうな息苦しさや眩暈、そしてアカシジアが重なりじっとしていることが全く出来なかった。
とにかく雨の日も強風の日も暑い日も、ひたすら家の中、そして近所を歩き続けた。
徘徊に近いウォーキングをしている時も精神状態は最悪、意味の解らない恐怖や焦燥感が常に付きまとっている状態 …
フラッシュバックと思われる症状が湧きあがり、過去の嫌な記憶や何十年も忘れていた知人の顔や名前が急に浮かんだりと、自分でも理解出来ない不思議な思考に翻弄される状態が続いた。
好きだった音楽を聞くことが苦しみに変わり、懐かしい音楽に心を搔きむしられた。
音楽と共に記憶されている楽しい思い出が、当時に戻れない苦しみに入れ替わる。
封印されていた過去の嫌な出来事や数々の反省が突然よみがえる …
この負のループが湧きあがると、激しい動悸と気の遠くなるような絶望感に支配され、全身から汗が噴き出した。
ベンゾショックがピークの頃、そしてアカシジアがピークの頃、私は大好きな音楽さえも聞けなくなってしまっていた。
向精神薬の薬害と無縁な人にとっては想像も出来ない世界だと思う。
全く支離滅裂自分でも理解出来ない …
テレビも見られない、くつろぐことも出来ない、音楽を聞いてリラックスすることも出来ない。
これらは全てリボトリールの離脱症状だった。
脳にとてつもないダメージを与える劇薬が普通の日常を壊してしまう危険性を多くの人に知って欲しい!
精神薬によってささやかな日常はいとも簡単に壊されてしまう。
私はその後、減薬が軌道に乗ってからは、元通りテレビでドラマを見たりウォーキング中も、イヤホンで好きな音楽を聞くことも出来るようになった。
普通の生活がどれほど大切かを噛みしめ、感謝する気持ちを今は痛感している。
柔らかい場所に座れない
柔らかい椅子、ソファーに座ることが出来ない!
リボトリールの急減薬により私は、柔らかい場所に座ることが出来なくなってしまった。
柔らかい椅子に座ると、自分が自分ではないような不思議で奇妙な感覚に囚われる。
脳が揺れるような
椅子に沈み込むような
頭を鷲掴みにされるような
押しつぶされるような
今まで感じたことのない感覚だった。
上手く言葉で表すことも出来ない異様な皮膚や身体の感覚と、おかしな精神状態により、日常の行動が恐怖に変わってしまった。
家の中では、木の椅子かフローリングの床に横になるだけ、くつろぐ場所が制限されてしまった。
ソファーに座るとグラグラと身体が揺れ、自分が何をしているのか?何処にいるのかもわからなくなった。
上と下がわからない
右も左もわからない
座っているのか?
横になっているのか?
今考えるとよくそんな状態を乗り越えられたと思う。
この薬害は、くつろぐことは勿論、一瞬の休息さえ許してくれなかった。
柔らかい場所に座れない状態は、予期不安も一因かもしれない。
座った時に出る奇妙な感覚が忘れられず、恐ろしすぎて座ることが出来ない状態はベンゾショック後半年以上は続いたと記憶している。
少しづつ少しづつ暴露療法を実行し座れる時間を増やして行った。
リボトリールの微量減薬による脳の回復と時間薬で今は以前のように何の恐怖もなく座れるようになっている。